職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

9回ツーアウトまでノーヒットノーラン-阿部八郎

金子千尋ノーヒットノーラン未遂は惜しかった。
その金子とは少し違った形ではあるが、1950年代にノーヒットノーランを惜しくも逃した選手を紹介する。


阿部 八郎 あべ・はちろう
1925年生まれ
身長:5尺5寸(167cm) 体重:17貫(64kg) (1950年当時)
左投げ左打ち 石川中学-福島日東紡績-阪急(1949~1958)-西鉄(1959) 
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福島日東紡績ではエースとして活躍。
その後、49年に阪急に入団した。

投手としての武器は伸びのある直球とシュート。カーブも投げる。
1951年にはリーグ最多奪三振を奪うなどの活躍を見せるが、白星には恵まれず。
この頃は天保義夫と共に阪急の左右エースとして活躍していた。
1952年は怪我で全休するが、53年に復帰し、55年、56年は勝ち越す活躍を見せる。

阿部の名前は、九回二死までノーヒットノーランだった選手一覧などでよく見かける。
1950年7月20日、日生球場での近鉄戦でのことだった。

ちなみに阿部八郎中西太を苦手としていたようで、得意のシュートも効かなかったようだ。
クラシックSTATSで、たばともさんが残している本塁打大全の中の「中西太、投手別本塁打数」を見ると、阿部が中西に4本の本塁打を打たれていることがわかる。


※参考文献 読売新聞 宇佐美徹也『プロ野球データブック』 雑誌『ベースボールマガジン』 1957年「阪急ブレーブス名鑑」