職業野球を追いかけて

引退・戦力外・自由契約になったプロ野球選手を紹介したり、トレードやドラフトなどの各種データを掲載するブログです。

アメリカにも渡った横手投げ右腕-建山義紀

建山 義紀 たてやま・よしのり
1975年12月26日生まれ 大阪府出身
身長:178cm 体重:75kg
右投げ右打ち 東海大付属仰星高校-甲賀医療専門学校-松下電器-日本ハム(1999~2010)-レンジャーズ(2011~2012)-阪神(2014)

 

11月5日、日本ハムの建山投手が引退を表明した。
当ブログでも建山投手の軌跡を振り返ってみたいと思う。

高校時代は上原と同期。
専門学校、社会人を経由して98年ドラフト2位で日本ハムに入団。

1年目の春先から先発投手として活躍し、6勝をあげる。
2年目も6勝をあげるが負け越すと、翌年はわずか10試合の登板に終わってしまった。
球威が無くなってしまい、球のキレも無くなっていたが、02年からリリーフに専念し、ボールの威力が復活。
03年以降も主にリリーフとして活躍した。

躍動感あるサイドスローからスライダー、シンカーを中心に投げる投手で、02年頃くらいまではチェンジアップもよく投げていた。
速球も140km台とサイドスローにしては速い。
また、スライダー、シンカーともに速いもの、遅いものと投げ分けることができた。

07年には先発に復帰するもやや不調。さらに怪我で途中離脱といいところが無かった。
08年からはまた中継ぎへと戻り、成績も元に戻るように。 
09年こそ不調だったが、10年は自己最高の成績を残した。

すると、オフには志願のメジャー移籍。
レンジャーズへFA移籍を果たした。

リリーフとして登板したが、11年は39試合に投げ、防御率4.50というそこそこの成績。
ここまでの成績を残せるとは思っていなかった、というのが正直な感想だった。
速球の威力がそこまででも無いにもかかわらず、39試合も投げたことには驚く。

さすがに翌12年の成績は悪かったが、それでも11年の成績は良くやった方ではなかったか。
14年途中にはNPBに復帰し、阪神に入団。
だが、8試合の登板に終わり、5日に引退を発表。
全盛期の成績は戻らなかった。
個人的には、少し引退には早いのではないかと思ったが、本人の選択では仕方がない。

なぜかわからないが、ヤンバルクイナの保護活動に熱心で、一時期募金をしていたことがあった。
なにがきっかけでそのような活動を始めたのか、聞いてみたいところだ。